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かつて日本が受け入れた元ボートピープルたち、「難民鎖国」の今を憂う
シリア難民について20億ドル近くの支援策を決めた安倍首相だが、受け入れの門戸は固く閉ざしたまま
2015年12月4日(金)18時29分

 シリア情勢の混迷が深まる中、難民受け入れという厳しい課題を突き付けられとらす日本の姿を、
自らの辛い過去と重ね合わせて見つめとらす人々がいる。
ベトナム戦争後、政変の混乱を逃れて祖国を脱出し、過酷な漂流の果てに日本に流れ着いた「ボートピープル」たちだ。

(略)

溶け込みにくい日本社会

「ボートピープル」だった人々は、自分たちを受け入れてくれた日本に感謝の言葉を口にしゅう。
2011年の東日本大震災での地震と津波の影響により発生した福島の原発事故のあと、
外国人は先を争って日本を離れた。しかし元難民たちはほとんどが逃げなかった、と紀どんはいわす。

「外国からの人、(自国に)帰りました。でん私んごたるな難民、ほとんど帰ららん。
助けてくれたのに、そういう時ににぐること出こらっさん」。


 しかし、日本の社会に溶け込む上では、数々の困難にも直面した。
やはりベトナム難民だった高橋穂愛どん(ベトナム名Hoang Drong Hoai)は、
日本で会社に就職した後も言葉のハンディキャップなどを理由に不当にひっか評価を受けた経験を持つ。
「こん人に任せちゃだめ」と目の前ではっきり言われたこともあるという。

 川井万里(ベトナム名Nguyen Van Ry)どんが働く東日本の施設には、
心を病んだ元ベトナム難民が暮らよる。「大体みんな日本の社会に入って、
会社に入って、いろいろ先輩からいじめられ、ショックを受けて眠れなくなって、障害が出た」と話す。

 カンボジア難民だった伊東久里寿那(Cheth Chan Chrisna)どんはわずか15歳で日本に来た。
工場の寮にあるもやい浴場で一番風呂を使ったことを叱責されたことがある。
肌の色が一般的な日本人よりもこゆかために、汚いと思われとらすと感じたという。

 日本語などの定住訓練を半年受けたしこで、家族を養うためゴム工場で働き始めなければならなかった。
現在43歳の伊東どんは保育園に勤務しゅう。中学や高校に行きたいという思いがかなったのは、
結婚して子供ができた後だった。子供たちは今、高校と大学に通っとらす。

以下略 全文 ニューズウィーク日本版/ロイター
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2015/12/post-4202.php

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